目的

僕は何のために生きているのだろう?生きる目的、それは何?
判らない、なぜ僕は生きているのか。ただ生きている。ここに自分があるから、生きているのだ。何をしたいから、何があるからという理由はない。生きることに目的なんて持っていないのだ。


でも、それが悪いとは思わない。悪いと思うのなら、僕はとっくに死んでいる。生きる目的がなければ、死ぬと言うのは違うと思う。僕は死にたいとは思わない。
だけど、僕はきっと早死にするだろう。40代、50代で死ぬかもしれない。いや、数年後、数ヵ月後、数日後に死んでしまう可能性だってある。もしかしたら、僕はいつ死んでも、かまわないと思っているのかもしれない。死にたいとは思っていないけれど、生きることに執着しているわけでもない。
どうせ死ぬなら、楽に死にたい。安楽死、もしくは即死。痛みを伴わない死を望んでいる。そう、僕は臆病なのだ。


だから、自ら死を選ぶ事ができない。誰も僕を必要としていなくても、きっと僕は一人で生きていくだろう。
寂しいと思われるかもしれない。いや、事実、寂しいのだろう。だから、人は人を求める。
だけど、一人で生きていくことだってできるはずだ。ただの強がり。そうなのかもしれない。今の僕は一人ではない。僕は養われている。
結局のところ、僕の言葉は嘘だ。今の僕には、一人で生きていくことの辛さが判っていないのだ。


では、もし一人になったとき、僕は生きていられるのだろうか?何かやりたいことでもあれば、気を紛らわせることもできるかもしれない。
何がしたい。生きていて、僕は何がしたいのだろう?

生きるということの目的は?目的があるから生きるのか、それとも生きているから目的を見つけるのか。どちらなのだろう。少なくとも、目的のない僕には判らない。
そもそも、生きるということに目的は必要なのだろうか?今を生きていれば、それでいい。そのうち、何か目的が見つかるかもしれない。それで良いのではないだろうか。


生きるということ。僕は自分の終わりが来るまで、生きようと思う。例え、誰にも必要とされなくても。例え、目的がなくても。
生きていれば、何か変化があるかも知れない。人の一生は一度きりなのだ。一度きりの人生、無目的で生きてみるのも面白いかもしれない。生きるための最低限のことだけをして、世の中の流れに身を任せる。自分の未来は一本しかないのだ。どこかに分岐点があるかもしれないが、それでも自分が選ぶのはそのうちのたった一本だけ。それが当たりか外れかなんて判らない。


僕は思う。自分で命を絶つこと、それは一種の逃げなのではないだろうかと。確かに、時には逃げることも必要かもしれない。逃げなければ、どうしようもないと気だってあるのかもしれない。
けど、僕は逃げない、命からは。終わり、その時が来るまで、僕は自分の生きる目的を探して、生きていく。
一度きりの人生、なるようになる。